丸岡秀子の著作の中で、もっとも多くの読者をもつこの『ひとすじの道』は、作者自身の自伝的小説ということもあるが、企画が名門の児童図書出版社(偕成社)であり、当初は中学生以上の女性を対象に書かれた点にある。子ども向けのものを書くようにといわれ、わたしはなぜ、そういう依頼を受けるのか、分からなかった、と丸岡はいう。「いまの子どもたち向くようなものが、書けるわけはありません」と簡単に断りかけたとき、実は内心ハッとした。こう思うことは、いまの子どもたちにたいする偏見ではないかと思ったからである。作者はそれから第一部を一九七一年十二月、第二部を四年後の一九七五年十二月、第三部は一九七八年十二月に上梓している。第一部のあとがきに、「作中の恵子は、私がモデルです」とある。作品の主な舞台は、長野県の佐久盆地の中込(なかごみ)である。軽井沢から程近く、浅間山の山容が目の前に広がる。母親に生後間もなく死別した恵子が、母方の祖父母に貧窮の中にあっても、娘の忘れ形見として大切に育てられ、女学校、師範学校と進んで自立してゆく。

 第一部「ある少女の日々」は、恵子の四才の記憶からはじまる。生まれて九ヶ月目に、二十四歳の母親に死に別れ、里子に出されていた恵子が祖母に引きとられる。第二の母である乳母と引き裂かれたときの悲しみの記憶は、恵子の幼年期、少女期のどの記憶をも圧倒するものだった。佐久の祖父母の暖かい庇護のもとで小学校を終えるまでの少女時代。

 第二部「青春の足あと」は、ひとり佐久を離れて長野で寮生活を送りながら勉学に熱情を傾ける女学生時代。恵子の友達の中に『白樺』という雑誌を読むようにすすめてくれるものがいる。有島武郎の『小さき者へ』もその友だちにすすめられて本屋で買い求めた。早速読んで、恵子は「一冊の本の持つ力、それが読む者の心にどのように響くか」をこのとき深く味わうことができた。

 第三部「愛と自立への旅」は、父の反対をおしきって奈良女高師に入り、教生を終えて女教師となり自立するまでを、克明に描き出す。この時期に陶芸家富本憲吉・一枝夫妻を安堵村の工房に訪ねる。それは恵子にとって「近代との出会い」でもあった。

 人間の尊厳を守るために差別を憎み、ひとに限りない愛を注ぎながら運命に負けずけなげに強く生きる恵子。 丸岡秀子の思想と力強い行動力の原点がこの作品の中に込められていて、世代を超えて多くの読者の感動を呼ぶ。

(解説 稲葉 通雄)