労働の中に脈打ついのちへの自覚・・農業・農村

さらに大切なものをわたしたちは共有している。それは、労働の中に脈打ついのちへの自覚だった。労働の大切さ、とうとさ、それはただ手足を動かすことではない。暮らしといのちの根元にかかわって、生きる証しとなり、だからこそ、人間の精神を作り、性根を培うのに結びつくのだったと思う。(「日本農業新聞」一九七九・八・二五、九・一一)

この手を見て下さい。こんなに大きいふしの高い手。これは自分が作った手です。農業をやっていたおかげです。私は人間の労働の大切さ、労働によってできた作物の大切さ。その労働こそ生きるっていうことの根ではないだろうか。それを生活の中で教わったということ、これこそ、まぎれもない真実であり、ほんとの愛ではなかったのかなと、このごろ思うんです。(『いのち、韻あり』一一九頁)

農村婦人は、第一に野良で働きます。第二に竃をあずかる主婦の仕事があります。また第三には、子どもを生み育てる母としてのつとめを持っています。この何重もの負担を背にしながら働き続けています。それを満足に行い難いところに、苦悩の原因があると思います。(「産業組合宣伝叢書」一九三七)

とくに主婦の台所生活に欠かせないのは手計り、目計りである。料理の講習会で何グラムだの、何センチだの、また何リットルなどの分量をいわれても、急場に間に合わない。それに農作業の明け暮れは忙しい。だから、味噌汁の一人前の味噌の分量は、梅干し一個分の大きさ。おまんじゅうや、オモチに入れる餡子は、親指と人差し指で作った輪の大きさ。そしてまた、お魚、フライなどにつけ合わせる淡色きざみ野菜は手のひら一ぱい分。ナマスは、きざんで一にぎりが一人前。だしコンブは一人前がマッチ一箱大。煮干しは五匹という具合に、あらゆるところに知恵を集積させ、それを面倒がらずに総括し、未来に伝えられるべき無形の財として意識している。……農村婦人たちは、こうして生き生きと暮らしを押し進めてきたし、これからも押し進めてゆく。苦しさも悩みも、身体のまわりにおし寄せるどんな障害も、このような主体性の前には、どれほどの手応えを持つことができようか。(「農業と経済」一九八一・一)

忍耐とは、何とつらく深いものでしょう。それは、いつの日か炸裂するエネルギーをたくわえるものの一瞬の凝結だといえるように思います。日本の農業を守り、これをつぶしてはならないという人たちがいるということ、この人たちは懸命に努めながら、打ちのめされても、叩きつけられても、田を耕し、牛をかい、玉子を生ませることを続けようと耐えています。(丸岡秀子編『村づくり二十年・・農村婦人の歩んだ道』理論社、八頁)

農村婦人の立場から、いま、ここに書きのこしておくということは、もう一度、そこを凝視し直すということになります。ここを凝視することは、つらいこと、いやなこと、語りたくないこと、書きたくないことばかりだと思います。触れたくない痛みばかりだと思います。ですが、そこを射ておかなくては、いまもなお、その出発点と少しもちがわなく続いている非情と、治者の構造を打ち破ってゆくことはできないとも考えられます。ですから、そこを描いておくということは、自分たちの生活創造の歴史ばかりでなく、大きくは日本民族の遺産としての歴史を書きのこしておく責任ある仕事ともいえるように思うのです。(丸岡秀子編『村づくり二十年・・農村婦人の歩んだ道』理論社、二頁)

まだまだ血縁・地縁意識は濃く、嫁の立場は怩謔サもの扱い揩ナあり、その欲求不満はいっぱいです。……嫁の座の低さも、ジリジリと、少しずつ、上ろうとしているし、上げる苦労もしていますが、しかし、その上りかたは、目尻のしわが、一本一本ふえるような苦労と共にしか上ってゆかない、そんなもどかしさを感じます。(丸岡秀子編『村づくり二十年・・農村婦人の歩んだ道』理論社、五頁)

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