農業と教育とは統一されたもの・・教育

第一には、わたしの精神領域では、農業と教育とは統一されたものという認識ができているからである。言い換えれば、教育は農業のいとなみそのもの、同じように生命を育てる作業として成立しているからである。 第二には、婦人問題の基底には農村婦人の問題が横たわっている。この問題を抜きにし、おろそかにして婦人問題は語れない。(『いのち、韻あり』二一〇頁)

学校は学歴社会の一過程にすぎない、そのパスポートを得るための一つの門にすぎないという考え方じゃなくて、この学校の大事なひとりなんだっていうことの自覚が大事なことだと思います。(『いのち、韻あり』一一五頁)

怦鍄揩ニいうのは、人間として強くやさしく、一人立ちできる人間として育っていくということ、徳育などを含めて、もっと幅の広い自主独立の人間に育っていくこと、そだてていくこと、それが怦鍄揩ネのです。そして、その昔から、読み、書き、そろばんといわれる恚ウ揩ェあるんです。自主独立の人間になるための基礎学力があるわけですね。この二つが統一されていなければ、ほんとうの教育にならないんですよ。(「はこばえ」一九八〇)

農業は育てる仕事であり、営みであります。だから、種をまいて芽が出たら、いつ、どのくらい水をやればいいのか、いつ、どのくらい肥料をやればいいのか、それから、摘まなければならない芽が出たら、いつ摘むか、それらをじっと観察して、対象の中にある成長要素というようなものを、大事にしなければならない。そう考えると、農業をもっと教育の中にとり入れて、これからは農業的教育観というものを打ち立てないと、臨教審だけでは、だめではないかと思うわけです。そういう点で、わたしの中には教育と農業の問題は統一されているということを、はっきりいえると思います。(「協同組合経営研究月報」一九八五・一)

わたしが、教師になって、生徒をあずかるようになったとき、小学校時代の先生のひと言が、いつも指針になった。……先生の熱い願い、「どんな不幸に遭っても挫けないように、分かれ道にさしかかっても間違いのないように、判断力を持ち、かつ強い心を持つ人間を育てたい」という要求は、どこで蓄えられたのか。とにかく、すばらしい先生だった。(「総合教育技術」一九八三・三)

恃えば立て、立てば歩めの親心揩ニ、よくいわれるが、これは親心をいいあてて妙なりと思う。この過程は実に感動的である。這い出すまでは寝がえりを何度くり返すことか。這い出してから立つまでの努力、一歩踏み出す前のあのしんけんな表情と、踏み出せたときの、あの喜びの笑顔。あの笑顔こそ、自分でやれたという人間成長のある時点の表現である。あのときはなるべく手をかさないで、激励だけ送ることにしたい。ゆっくり自力を出させる、それこそ人間の自立の基礎であると思う。(「幼児開発」一九八二・五)

ある人はこんなふうに言っております。人間は少年少女時代に、その時代を味わうためにこの世に生まれたといっていいくらいである。この言葉も私はたいへん好きな言葉です。人間の少年少女時代に生きるために、そのためにこの世に生まれたといってもいい。だが、今の子供たちは、どうこの世を味わっているんでしょうか。……あのみずみずしいそれぞれの命がたたえている良さはどうなっているんだろうか。どれだけ大事にあつかわれているだろうかと思わないわけにはまいりません。(『いのち、韻あり』一一一頁)

わたしは、自分の十代をここでまた回想させられます。土から掘りたての、くろぐろしたお芋、それを年間食糧の一部として貯蔵したムロのこと、それを使うたびに洗った小川のこと、それをぐつぐつ煮た炉ばたや、鉄のつるし鍋や、赤く燃えさかる焚き火の炎。それらが、わたしの生命のどこかを作っているような気がします。そのことは、育てた人間と、育てられた人間とのあいだを、大地が結んでいるように、たしかにしていると思うのです。自分の家から道つづきに土を踏んで田畑があり、山にも入れ、そこに働いている親たちの姿は、子どもたちの心を、いつも両親のそばにいるように落ちつかせました。(丸岡秀子編『村づくり二十年・・農村婦人の歩んだ道』理論社、三頁)

わたしたちは知っている。危機の時代には、まず教育が、まっさきに弓矢の的になるということを。だからこそ、婦人は母親の名において、平和のためのあらゆる努力を連帯し、対立や紛争は、すべて平和的解決によるべきこと、話し合いと相互理解のための努力を持続すること。その導きの星は、生命の尊さ、愛と家族の大事さを母の名において宣言し、実践し、つらぬき通すことであることは、いうまでもない。(「第27回日本母親大会討議資料」一九八一・八)

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