![]()
私とらいてうと丸岡秀子 あの人が生きていてくれたら・・・・・・と、このごろしきりに思う。なかでもとりわけ思うのは、丸岡秀子さんのことである。 私にとって丸岡さんとのご縁は、一定の距離をおいた社会的知己とでもいう関係が長くつづいた。かつての日、丸岡さんは私との関係について、「平塚らいてう、富本一枝、それに二人を加えての四本柱で立っている友情」とおっしゃったことがある。 若年の私などをお仲間呼ばわりしてくださる、あたたかい心遣いの先輩であった。 しかし私にとっては、畏敬すべき「先生]として、一歩も二歩も下る気持ちをもちつづけた関係だった。 それがいつのころからか、ほんとうになんの隔意もなく、いろいろと話をしていただける間柄になってきていた。今にして思えば、それは明子さんが先立って逝かれた逆縁の悲痛に堪えていられたころからであったかと思う。 まるで身内の者のようにしていただいたことのありがたい記憶は、私も確かに丸岡さんの「心の血縁」の一人であったことをもの語っているように思う。 小林登美枝 |